おまえも大変なんだな。

僕はバスに乗った。
乗り物に乗ると子供のように窓の外の景色を眺めるのが習慣になっている。
ただ眺めるだけで、考え事をする時もあれば、何も考えない時もある。少なくとも今日の僕は何か考え事をしていて視界に映るディスプレイはまるで白く曇ったガラスのようだった。


僕の3つ前の座席に座っていた今風の男の人が突然反対側の空いている座席へと移った。いつもなら反対側の景色が見たくなったのだな、と思っているところなのだが、どうやら今日は様子が違っていた。それまで何が違っていた、という訳でもなく所謂シックスセンスが働いたという事だと認識して頂けると幸いだ。電話が鳴る直前に電話が鳴ると分かる…というのが良い例である。
とにかくその時様子がオカシイという気配を感じたのだが、何となく窓の外を眺めなおした。この時までは僕という人間が完全に今いる現実から完全に切り離されているというような感覚に陥っていた、つまり大した事ではないが考え事をしていたのでその続きをしていたかっただけなのだ。


少しすると、どうやら後の方に座っていたと思える一人の中年の男が何やら新聞をバットのように巻いて僕の3つ前の座席近くまで急に走ってきて数回上からそれを振りかざしたのだ。
僕はてっきりその男が突然精神を病んだのかと思い、「要注意人物」だと頭の中へインプットし、何があっても大丈夫なように身の周りの状況、スペースを把握し、準備は万全だった。
男はその後すぐにバスの中程へ走り去り再び数回それを振りかざし、それから巨人がじたばたするように何かの目標に向かって足を上下に動かしていた。
僕は訳がわからないまま、その男は何事も無く元の席に戻り、その男は他の乗客達から静かな歓声を向けられていた。


それは蜂だった。正確にいえば息絶えた蜂だ。


蜂というものは蜜を吸うものもいれば、ヒトや他の動物を狙うものもいるらしいが、不幸にも僕の蜂に関する知識は無知に等しいので、蜜を吸うハチなのかそうでないかの区別は付けられない。
ただ形状としてそれは蜂だ、と言える程度のものだ。
つまりここまでの事を要約すると、いつのまにかバスのドアから蜂が入り込み、僕が考え事をしている間に前の座席へと潜り込み、そのせいで僕の3つ前に座っていた男が急に席を移り、中年の男がそれを撃退したのだと、漸くその時理解したのだ。


それから僕は家に帰り、蜂に関する資料をインタァネットで調べたところ、この時期に見られる蜂の行動として「分蜂」と呼ばれる現象のものが多く、これは蜂達が種族保存の為に、それまで花の蜜をたくさん吸いこんで巣を作る為に巣作りできる場所を探索する一種の行動形式のようだ。
ひょっとしたら蜂は、バスの停留所近くに来るまでに力一杯飛んで、持っていた力の大部分を消耗してしまい、巣を作る為に止むなくヒトがたくさん乗っているバスに乗り入れなければならない運命だったのかもしれない。
勿論ヒトを刺す事を考えていたのかどうかは止む無く息絶えてしまった蜂に聞く術も無く、生きていたとしてもテレパシィのような物が実在すれば話は別だが、元から言語による意思疎通をはかる事ができないので、通常の人間にはわからないのが普通だ。
ただし、そもそも「刺す」という行動は蜂自身の自衛から来る行動のようだ。かといって何もしなくても人を刺さないという保障はない。
同時にヒトも自分の身の危険を免れるために蜂を撃退したのだ。蜂の意図とは関係無く。


ともかく生物は異なる種に対して寛容ではない。