痒い痒いの、飛んでいけ。

先日、自分自身の目玉を掘り出してタワシで洗いたい、もしくは目玉をムヒ漬にしてやってほしい衝動に駆られたのである。

妙な表現だが、要するに目が痒いのだ。


僕が思うに…きっと目の奥にバグ(虫)が棲るに違いない。
いやいや、これは時期が時期だけにひょっとして花粉症というやつの典型的な症状であり、それはつまり自分が花粉症デビューという事にこの流れだとなってしまう。
ただし妙な事に片目だけが痒かったりする上に、鼻がムズムズする訳でもなし、クシャミが出る訳でもない。通常花粉症というヤツは両目が(ここポイント♪)痒くなって且つ鼻がムズムズしてクシャミの連発が基本ではないのか。このようにして特に医者でも無い自分が無理矢理自分自身を納得させる事の出来るフラグを黙々と探すのが常套手段な訳だが、そんな事はどうでもいい。


とにかく片目だろうが両目だろうが、如何せん場所が場所だけに痒い事に変わりはない。
掻こうとしてダイレクトに目玉を穿りだすほどバカではないが、このような事態から脱するには目薬が最適なのかもしれない。勿論通常このような手段を取る事は一般的である。しかし、これを差す刹那、その一滴(ひとしずく)が今まさに「落ちるのか、落ちないのか?」という瀬戸際に立たされ、まるで意志をもった生物のようにターゲットを焦らそうとしてくるその手口が厭らしく、結局はターゲット側の予期していない僅かな隙を伺い、重力にしたがって無残にも目玉と一体化してしまうそのやり方に毎度辟易するし、その度にギャーギャー、と叫びながら、そのようなみっともない姿を晒しているのは言うまでもない。
そして先述したような事が予想される中、自分はどうしたかというと結局目薬を差さないという、常識から逸脱した行動へと移してみた。


つまり耐えろ、という神の思し召しなのだ。うむ、そうに違いない。
間違っても水滴が怖い訳じゃない。単に嫌なだけなんだ。

それからというもの不思議な事に痒みが引いている。
信じるものは救われるのだ。こんな時だけ信心深い自分。